滑川温泉への雪中行軍

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2021/01/21

あふれる風景~滑川温泉(山形)1985年1月20日

雪に埋もれる滑川温泉「福島屋」、車は通行不能だが冬季も営業しているとの情報をもとに歩いて行ってみることにした。滑川に入浴後、姥湯まで足を延ばし源泉の流れる川をスコップで堀り広げ露天風呂にしようと思っている。天候は晴れ、車で福島市を午前10時に出発し国道13号を米沢方面へ。栗子スキー場の手前を左折して下ると奥羽線板谷駅、ここから峠駅方面へ向かうとすぐに雪の壁。除雪されていない。早々に車を降りスコップを手に歩くことに。一歩進むごとに足が40~50センチ埋まってしまう。峠駅と滑川・姥湯への分岐点に着いた時点で既にへとへと。標識の埋もれ具合から積雪は約2メートルか。ここから滑川まで何時間かかるのだろう。想像つかない。

道なき道にスキー跡を発見。峠駅からスキーで日用品など運んでいるのだろうか。この時、スキーを持ってくればよかったと思ったが後の祭り。一歩ごと埋まりながらスキー跡をたどる。つらい、休憩が増える。ビールを飲みながら、ここまで来たことを後悔するばかり…あの先を曲がって宿が見えなかったら引き返そうと何度も思った。滑川で昼食の予定で持参した弁当は雪上で食べることに。足や尻が冷たいことなど構っていられない。少し元気を回復し先を急ぐ。3時間30分歩いて滑川と姥湯の分岐点の道路標識が見えてきた。姥湯までなんて到底行くことはできない。雪国育ちなのに考えが甘すぎた。笑うしかない。スコップは重いだけで無駄、目印を兼ね雪上に刺して置いていく。

ついについに遠くに宿を見つけた。深い雪に覆われる山中の木造3階建て、雪のない季節に訪れたときとは別の感動、体が震えた。午後3時過ぎ、ついに到着。玄関前10メートルほどは雪を固めてあるが、そのほかは全くの新雪だ。従業員だろうか、お年寄りたちが雪かきをしている。おばさんが「よく来たね、かんじきも履かないで」と出迎えてくれた。ストーブにあたり、お茶をいただく。生き返る思いだ。以前、天元台からスキーで降りてきたお客さんがいたと教えてくれた。きょうの宿泊客は一人で、スキー跡は峠駅まで迎えに行った従業員がつけたものらしい。

早く湯に浸かりたい。入浴料200円を払って浴場へ。静まり返った宿内、廊下の木板の床の軋む音が不気味に響く。濡れたシャツ、ズボンを脱ぎ捨て、まず混浴の大浴場へ。お湯は冷え切った体に熱かったが徐々に適温に。同時に疲れが抜けていく。雪囲いされた窓から見える雪景色を見ながら「やったね」とほめあった。高い天井から湯気の湿気がポタリ、顔に当たるととても冷たく、これからまた冷たい服を着て帰らなければいけないという現実に引き戻される。とりあえず、さまざまな湯を楽しんだ。

約1時間後、気持ちを引き締め帰路に着く。途中、峠駅から来たという大きな荷物を背負った宿泊客とすれ違う。「かんじきを履いてきたけど、足跡がついていたので脱いできました」、私たちの足跡が役に立ったよう。次第に暗くなってきた。山の天気は変わりやすいという通り雪も降ってきた。来た時の足跡だけが道しるべなのに消えそうだ。先を急ごう。あっという間に雪は吹雪に。峠と板谷の分かれ道に着いた時には真っ暗になってしまった。道を間違えると、ずぼずぼ腰まで埋まってしまう。体を抜こうとして何度も足がつる。雪にまみれ、もんどり打つ。もう限界、気持ちが投げやりになってくる。途中で回収したスコップで雪洞を掘って朝を待とうとまで考えた。そんな時、かすかに列車の音が聞こえた。吹雪の向こうに、ぼんやりした明かりも浮かんでいるよう。車を置いてきた付近で行われていたボーリング工事現場の照明かも。希望が見えた。「もう少しだ」、近づく明かりに激しく舞う雪が映る。髪は凍っている。ついについに午後8時ごろ車にたどり着いた。「助かった」、無事を喜び合った。冬山の怖さを味わった長い長い一日が終わった。

 


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