日本ダービーと寺山修司
コロナ禍の影響で無観客競馬が続く中央競馬。2020年5月31日、第87回東京優駿(日本ダービー)も無観客での施行となった。断然の1番人気コントレイルが好位から楽々抜け出し快勝、前走の皐月賞に続く2冠、デビューから無傷5連勝で決めてみせた。2着は皐月賞2着のサリオス。
コントレイルは父ディープインパクトとの父子制覇という偉業を難なく達成した。ウイナーズサークルに戻る途中、感極まったように鞍上の福永祐一騎手が、ヘルメットを取って誰もいないスタンドに向かってお辞儀。例年なら大声援がこだましたことだろう。競馬ファンなら圧倒的強さを目の当たりにしたかったはず、アナウンスだけのテレビ画面に寂しさがにじんだ。
ダービーは競馬ファンにとって特別な「儀式」、誰もが熱い思いを心の引き出しにしまっている。自身の引き出しのひとつを開けてみる。20世紀最後のダービーの日、競馬を愛した憧れの寺山修司を追い掛けた。
そのストーリーは20世紀最後の3年前から始まった。寺山とつながりの深い横尾忠則氏がポスターをデザインした1998年の第65回ダービー、スペシャルウィークが2着ボールドエンペラーに5馬身差をつけて圧勝し、鞍上の武豊騎手は待望のダービージョッキーとなった。直線でムチを落としたのは、確信した勝利に打ち震えてのことだろうか。翌99年、武豊騎手はアドマイヤベガでダービーを連覇する。
そして2000年5月28日、第67回ダービーを迎えた。人気ベスト3は皐月賞1、2着の武豊鞍上エアシャカールと高橋亮鞍上ダイタクリーヴァ、京都新聞杯勝ち河内洋鞍上アグネスフライトだった。20世紀ラスト、居ても立ってもいられず三沢市の寺山修司記念館を訪ねることにした。記念館外観の壁には縁のある有名人の絵や詩がはめ込まれ、館内には数々の資料が机の引き出しに収納されていた。その机を開け懐中電灯をあて不確実のまま消えていった「テラヤマ」を探していくという趣向を凝らした展示法だった。記念館裏の森は散策路になっており「マッチ擦る つかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」などの有名な短歌が刻んであった。感動しきり、横尾氏らが描いた天井桟敷演劇ポスターを購入し記念館を後にした。
バスで三沢駅に戻り列車内でダービーが発走。携帯ラジオの実況は途切れ途切れ、流れる車窓にイライラが募った。道中、後方3、4番手を進んだエアシャカールが直線半ばで先頭を奪い押し切るかと思った瞬間、最後方待機のアグネスフライトが一完歩ごとに豪脚を伸ばしてきた。さぁどっちだー……肝心な時ほど実況はノイズにまみれた。結果をあきらめ、酒を呑みながら「寺山ワールド」の余韻に浸った。
家に帰り録画で見た結果はアグネスフライトの優勝。河内騎手が悲願のダービー初制覇を果たし、武豊騎手のダービー3連覇はならなかった。ハナ差の名勝負だった。
その後アグネスフライトは長期休養などの影響もあって勝ち星を挙げることなく引退、エアシャカールは菊花賞でアグネスフライト(5着)に雪辱し2冠を達成した。エアシャカールは何故3冠馬になれなかったのか。歴史のいたずらにしては大きすぎるダービーのハナ差だった。「確実」はないと痛感した。でも2人のダービージョッキーが交錯するドラマが生まれた。だから歴史は面白い。